モーション・ピクチャー・シューティング

MOTION PICTURE SHOOTING 自主映画制作記

復帰

昨日、

営業再開した近所のイオンシネマさんに行ってきました。

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ただいま!

 

四月にTOHOシネマズ新宿さんで超がつく名作『ローマの休日』1953 を観て以来、

約二ヶ月ぶりの映画館への復帰です。

選んだ映画は先日九十歳になられたクリント・イーストウッド監督の大ヒット作、

アメリカン・スナイパー』2014。

(2014年は『射手座』の撮影中で、イーストウッド監督もスナイパーの映画を創ったということが本当に励みになりました)

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公開時から二度目の鑑賞の機会をスクリーンに与えてもらって嬉しい。

今もまだ公開延期、待機中の新作がたくさんあることを考えると喜んでばかりもいられないのですが、突然劇場でリバイバルされることになった過去の名作たちの灯が、映画館復活の狼煙をあげていると思います。

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こんな風に劇場の中をカメラで撮るなんて滅多にやらないのだけれど、つい、記念に。

 

光を見るためには

暗闇が必要なのです。

これからもどうぞよろしく、映画館!

カメラを止めるな……

リモート大作戦!      

お題「#おうち時間


短編映画『カメラを止めるな!リモート大作戦!』本編

 

観ました。

おもしろかったです。

シナリオ上では一つの場所だが、複数の場所で違う時間に撮影したものを組み合わせて、いかにも一ヶ所で同じ時間に撮ったように見せてしまう……

自主映画あるあるですね。私もよくやります。

プロだってよくやってます。

共演する俳優たちのスケジュールがどうしても合わない時など、顔のアップをつないだりして、同じところにいるように見せるのですね。

映画『ヒート』1995 を思い出しました。

ヒート 製作20周年記念版(2枚組) [Blu-ray]

アル・パチーノロバート・デ・ニーロが初めてガッツリと共演した作品として、公開時は映画ファンの話題沸騰。しかも刑事と犯罪者として戦うという内容なのですから、期待するなと言われても絶対無理でした。ところが、カフェのテーブルを挟んで初めて会話をするシーンが、それぞれのショットを切り返しでつないであり、二人同時に映るショットがほとんどない。多くの観客がアメリカを代表する二大実力派俳優は、実際にはほぼ絡まなかったのではないかと疑いました。やはり竜虎相搏つというわけにはいかなかったのかと。これは特に映画ファンが、撮影現場のテクニック、会話のシーンでも二人が演技をぶつけあっているとは限らないことを知っていたから生まれた疑いでした。後に誤解だと判明して胸をなでおろした方は多いでしょう。

さて、今回の映画『カメラを止めるな!』、緊急事態宣言下での番外編ですが、まさにこの映画の現場のテクニックから生まれた作品ですね。

実際に会えない、絡めないけれど、そうは見えない映像にしてしまおうというアイデア

まあ、ロケ地が違いすぎて、誰が観ても同じ場所とは思わない映像になるのですが、画面のつなぎ方がうまいので、観ているうちにほとんど気にならなくなりました。あえて言葉にするなら、画面の背景がおかしくても、物語の流れで押し切っている感じです。

関係のない二つ以上の映像を組み合わせることで一つの意味を提示するモンタージュの理論を思い出しました。

そういえばモンタージュ理論で有名なエイゼンシュテイン監督は、俳優ではない素人を映画に起用していました。

立っているだけの男(素人)を下から見上げるようにして撮れば、自信に満ち溢れているように見える(見せれる)。上から見下ろすようにして撮れば、男の気持ちが沈んでいるように見える(見せれる)……だったかな。うろ覚えですが、そういう発見をされた映画監督でした。

今作にも素人の皆さんが大量に出演しています。

自分で自分を撮る、自撮りでですが。

自分を撮るという事、カメラの前で人に見せる動きをする事に慣れた人たちがたくさんいて、成立しています。

そしてあるテーマに沿って自撮りをうまく繋げてあるのです。

あと、

エンドクレジットを見ていたらジョン・フランケンハイマー監督の『グラン・プリ』1966 のことも思い出しました。あの怒涛のような分割画面です(笑)

グラン・プリ [Blu-ray]

 

上田慎一郎監督と『カメラを止めるな!』チームの皆さん、楽しい時間をありがとう。

カメラは止めない。有言実行ですね。

 

映画を家で観るということ

お題「#おうち時間

 

仮設の映画館にて映画『精神0』を観るにあたり、

できるだけ映画館で観るときと同じ状態に近づけようと考えました。

観はじめたら、止めない。一気に最後まで観る。

早送り、巻戻し厳禁。

トイレの用は大丈夫。

宅急便、頼んでいない。

突然のピンポーンには…… 居留守対応の方向で。

そうして臨みました。

部屋の明かりも消した。

再生ボタン、クリック。

おお、

映画館の上映前のような案内が流れます。素晴らしい!

大丈夫です、スマホ、OFFにしてます。

(鑑賞開始)

ところがミスをしました。

アルコールを片手に観ていたのです。

これは映画館のマナーやルールに反するものではありませんが、

私は普段飲まないのです、映画館では。

うっかりお酒の缶を倒してしまったのです。

一時停止……!

約1分後に鑑賞を再開しました。

自宅で観るという気安さからの油断、

不覚であります。

 

二十代の頃、

国も時代もジャンルも問わずに

少しでも多くの映画に触れ、学びたいと思いました。

でもお金はありませんでした。

私はテレビの深夜帯で、夜9時からの洋画劇場では流れないようなマニアックだったり、マイナーだったり、アート系だったりする映画が放映されているのを知りました。

そこで放送時間が被らない限り、各局の深夜の映画をぜんぶビデオに録画しました。

多い時には一晩三作品くらいありました。

当時、新聞のテレビ欄では深夜番組の記載は一行あるかないかでした。

聞いたことのないタイトルでも映画とわかれば録画しました。

どこの国でいつ撮られ、誰が主演で誰が監督か知らず、あらすじもわからないまま片っ端から録画しました。

そして全部観ました。

その時、先ほど記したような、映画館で観ている状況に近くして観たのです。

私の脳内設定は、ふらりと立ち寄った映画館で、その時やっている映画を観る、

つまらなくても最後までつきあってみる、というものでした。

観たあとに調べてみて、よく知らない国や人の作品で、特に有名な賞をとっていなくても、面白く、素晴らしい映画があることを知りました。

そして自分が面白いと思った理由を最低でも一つは考えるようにしました。

そういえば名前くらいは聞いたことのある作品で、けっこう有名な監督が撮っている、でもつまらなかったというのもありました。

最低でも一つ、そう思った理由を考えました。

 

途中で止めない、早送りと巻き戻しもダメと縛らなくても、こういう事は学べそうですね。

 

でも地方から上京してきた私が、

東京の数え切れないほどの映画館と、

この深夜映画無差別鑑賞から学んだ最も重要なことは、

映画とは観客を拘束するものである、

真っ暗になる劇場の客席に人を縛りつけて見せるものである、

それを前提に作られているからこそ、映画には独特の時間の流れがある、

という事でした。

お茶の間で家事や食事の合間にも楽しめるように作られているテレビ番組とは違う。

二時間近く縛りつけられたうえで、やっと言いたい事がわかるような作品もあるのが映画で、

映画だからこそ出来る表現がある。

 

映画の話法、文法といったものでしょうか。

家にいてもわざわざ自分を縛って観たたくさんの映画が教えてくれました。

もう同じことは繰り返せないですね。

今回もお酒をこぼしてしまったくらいだから。

 

映画とテレビと、あとはネット配信のドラマとかYouTubeの映像とか、

同じ映像でもなにが違うのだろうと思っている方、

体力と集中力に自信のある方、

この時期に自宅を劇場だと思って、

モニターをスクリーンだと思い込んで!

トライしてみてはいかがでしょうか。

 

<おわり>

 

 

 

 

映画『精神0』@ 上田映劇

私たちは自分の観たい映画を選ぶ。

そして

自分の好きな、自分の行きたい映画館を選ぶ。

観たい映画を、観たい時に観たい所で観る。

映画を映画館に観にいくという行為には観客の自立心が必要とされ、多くの映画ファンはその自立心、主体性により映画というものを愛するのだと思います。

 仮設の映画館

オンラインなのに映画鑑賞の選択肢に劇場が入っているという幸福。

 

さて

私が映画『精神0』を観るのに選んだ映画館は

長野県上田市上田映劇です。

私は東京在住です。

それなのに故郷の映画館を選べるという、この幸福。

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観ました!

このブログは映画の感想、評論的なものを書くところではないのですが、短く述べます。

ひたすら被写体を観察するということを目的としたこの映画の視点には冷徹さがあります。

その冷たさに徹したカメラが切り取った画から、

主人公の老いた医者と、その患者と、その伴侶は

私であり、また私ではない。でも私たちであると感じました。

一箇所、お酒とタクシーの件ですごくホッとしました(笑)。

そして

この映画を劇場の本物のスクリーンで、多くの他人と一緒に観たときには、また印象が違うはずだと思うのです。

 

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上田映劇 2009

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上田映劇 2009

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上田市内に貼られていたポスター 2009


 上田映劇

十代の頃、もっともお世話になった映画館。

大正時代からの古い小屋で、一度は閉まりました。

でも復活しました。

たびたび帰省はしているのですが、ちっともタイミングが合わせられず、復活後、一度も行けていませんでした。

 

初めて行くことになったのが、オンラインからになるなんて……!!!

 

…… 複雑な気持ちです。

 

けっきょく

嬉しいです!

 

この機会を与えてくれた仮設の映画館 に深く感謝いたします。

 

<さらにつづきます>

 

 

 

 

映画『精神0』@ 仮設の映画館

 仮設の映画館 !

http://www.temporary-cinema.jp

「なんて画期的なアイデアなんだ」と叫びたくなりました。

映画を配信で公開するが、それは映画館で上映された扱いになる。

観客はまず観たい作品を選ぶ。そして行きたい映画館を選び、その映画館で上映されるという前提で料金を払い、オンラインで作品を鑑賞する。

今は行くことができない、自分の好きな映画館で、観たことにする。

現実には休館していて、観客0で、スクリーンには何も映し出されなかったのに、その映画館で観たことになる。

映画館で観たことにできる!

公開が危ぶまれた映画と、休館した映画館を同時に応援することができ、映画の製作、配給側と映画館の双方に利益をもたらす。

なにより観客が今、新作を観ることができる。

オンライン上の仮設であるけれども、確かに映画館を通じて観ることができる。

脱帽です! 

(いま読んでいるカミュの『ペスト』に「脱帽!」というセリフが何度も出てくる影響です)

 

動画配信サイトと視聴システムの普及により、オンラインで初めて公開される映像作品の出現に誰も驚くことはない世の中となりました。

某大手配信業者が製作した映像作品が、映画館を通じて公開されなくても映画と呼びうるものであるか否か、議論は続いています。

私は映画は映画館で公開されるべきものであり、映画とは映画館のスクリーン上でフルパワーを発揮できる映像作品のことを指すと考えています。

ただ、以前ビデオスルーで公開された多くの作品、日本で劇場公開作品の扱いを受けれず、ソフトのレンタルなどでその存在を世に知らしめた多くの映画があることも知っています。

インターネットを介して初公開される映画も増えてしまうだろうと考えていました。

そんな

劇場、映画館であるべきだ!

いやネット配信でも……。

それは映画と呼べるのか?

映画と呼んでもいいんじゃないか……。

というような議論を吹き飛ばしてしまったいまの状況。

映画と映画館、その存在をかけた大問題を逆手にとった仮設の映画館!

想田和弘監督の「座して死を待つよりは……」という苦渋の決断に、

私は逆境でこそ輝きを増す映画の未来を提示してもらえたと考えます。

youtu.be

さて、

5月2日、オンラインで封切られた想田和弘監督作、映画『精神0』、

早速鑑賞してみました。

<つづく>

 

『金の銃 銀の銃』30秒予告編

 仕事がイベント、芸能関連のため、ほぼ休業状態です。

そんな中、新しい予告編を制作いたしました。


映画『金の銃 銀の銃』30秒予告編

 

映画業界は前代未聞の苦境に立たされています。

日本も世界も戦いの日々を過ごしています。

わたしは自分にできることを毎日一つづつでもやっていこうと思います。