私とシナリオと演出 Ⅱ
制作部をはなれてしまった私を見兼ねて、またH先生が仕事を紹介してくれました。
演出部助手、助監督です。
初めてカチンコを叩いたのは、演劇界では知られた個性派俳優の映像デビュー作でした。
その現場で覚えていることと言えば、ハダカの女優さんの胸の前でカチンコを入れたことと、先輩助監督に言われた一言、
「この商売を続けていくためには、実家の世話になるか、金をもってるお姉チャンのとこに転がりこんでおく事」。
ギャラはいつ、いくら貰えるか、アテにするなという事です。
実家にもオネーチャンにも頼れなかった私は、現場の合間の短期バイトが生活費のメインとなっている状態でした。
アパートの家賃を払うのも厳しい状態で、次から次へと現場に入るワケにもいかなくなり、だんだん演出部から遠ざかっていきました。
そんな私を拾ってくれたのが、S監督とM監督です。
お二人とも映画で活躍されていましたが、地方テレビ局の深夜バラエティーをプロデュースすることとなり、私はADならぬ総合雑用係としてゲストの調整からナレーション原稿作成、完パケ納品まで、監督の補佐を務めることとなったのです。
今考えれば、大変貴重な経験をさせてもらっていたのですが、思い出されるのは自分の失敗の連続だけです。
なんてモッタイナイ・・・。
とにかく仕事が出来なかった私。
「お前みたいなダメ助監督がうっかり名監督になったりすることがあるから、コッチはやってられないよ」
仕事の鬼であるM監督には一日中怒られておりました。
正直言いますと、自分の事は棚にあげて、殺意をおぼえたくらい・・・
手取り足取り、ボコボコに怒られておりました。
ある日、聞いてしまいました。
「なんで僕のことをそんなに怒るんですか!?」
M監督、
「オマエはナンデモできる人間にならねばイカンのだ!」
そう、
映画監督とはナンデモできなければなりません。
それでも一本の映画を創るにはたくさんの専門家の力が必要です。
監督は一人では手に負えないことを数々の専門家に任せます。
その時、専門家たちとハナシが出来なければなりません。
そういう意味でナンデモできなければならないのです、カントクは。
こんな意味でM監督は仰ってたのでは、
と思えるようになれたのは、後のことです。
いまでも
仕事で辛くなったとき、
思い出すのは、
マシンガンの銃弾のように私の体に食い込んだ
M監督の言葉です。
S監督には
「お前は牛歩の人だな」
と言われました。
“牛歩”、ノロい牛の歩み。
当時、国会で牛歩戦術という言葉が使われていました。
前に進んでるのか、傍目にはわからないくらい、遅い前進。
監督、まだ牛歩です。
私は。
牛どころか亀なみの遅さです。
甲羅の中に入って休んでいる時間が長すぎたように思います。