モーション・ピクチャー・シューティング

MOTION PICTURE SHOOTING 自主映画制作記

私とシナリオと演出 Ⅰ

会社を辞めてから、ハローワークに行ったり、アルバイトの面接を受けたりするようになり、

たくさん“自己紹介”の機会をもらえました。


上手くできた事がない気がしますが。自己紹介。


漫画家になるのに挫折した事も、最近になっておおっぴらに話せるようになり、

よい機会なので(?)、私の映画にまつわる経歴を書かせてもらおうと思います。



高校に結局四年通ったあと、東京の学校に進学しました。

某芸術系の学校の映画学科。

「監督になる勉強をしたいな」とは思っていましたが

演出専攻は学費(教材費など)が高く、脚本を専攻することにしました。

「自分でシナリオ書けるようになって、自主映画で監督をすればイイ」。

長期休暇のあいだは、フィルム代と現像代と学費の一部を稼ぎ出すためのバイトにあけくれました。


卒業後、シナリオの恩師、H先生の紹介で映画の制作部で働かせてもらえることになりました。

フリーランスの制作進行助手(見習い)です。


なに一つまともに出来ない、気を利かせることも出来ないぺーぺーでした。

お師匠さんと兄弟子の足をひっぱりまくってましたね。

某大女優さんに後ろから挨拶をして、わざわざ振り返らせたこともあります。

その方は、嫌な顔もみせず、挨拶を返してくれましたが。


最初に携わった作品で、エンド・クレジットに名前が載りました。

でも漢字が違っておりました。

事前に兄弟子に、字の確認をとっていただいたにもかかわらず。

「まともに名前がのるような仕事はできなかったのだ」と思い、

残念とは思いませんでした。


そんな私が、完成記念の打ち上げのビンゴ大会で一番イイ景品を当ててしまう事になりました。

あれは恥ずかしかったです。


制作部には一年ほどお世話になりました。

なにも出来ないぺーぺーのまま。

ある日、お師匠さんと兄弟子に新宿の喫茶店に呼び出されました。

お師匠さんは、「この人がいれば出来ない撮影はナイ」と言われている程のベテランでした。

そんな方ですが、私にも敬語を使って話をするのです。

その日、こう言われました。

「あなたは、映画の事を嫌いになりなさい」。


「なにを言い出すんだろう、この人は」

と思いました。


続けざまにこう言われました。

「お金の為に仕事をしなさい」。


「ウソだ」

と言いそうになりました。

「お師匠さんだって映画が好きでやってるはずだ。お金のためだったら、もっと稼げるほかの仕事があるはず」。


「映画のことを嫌いになりなさい」

私は反抗心だけは一丁前の若造だったので、

「それだけは出来ません」

と言い返しました。


二時間、

「それだけは出来ません」

を連呼。

長い二時間でした。


お師匠さんの言葉の意味がわかるようになったのは

ずいぶん後です。


「好きでやるだけならアマチュアだ。プロになれ」

そうおっしゃってたと思うのです。



あれから十数年、

私は今また“好きでやる只のアマチュア”に戻りました。


それができる最後のチャンスだと思ったからです。