私とシナリオと演出 Ⅲ
二十代の後半は映像制作の現場を離れて、
患った病気のリハビリの意味もあり、ひたすら肉体労働に勤しんでおりました。
工事現場の荷揚げや引越しの手伝いなどです。
アタマを使う前に、カラダを動かす。
考えるよりも先に感覚を働かせる。
汗水たらしながらのガテン系ワークが、この頃の私を救っていました。
あるスチール家具メーカーの物流部には4年間お世話になりました。
この世にスチールのデスクやロッカーを必要としない企業や組織があるだろうか?
ナイ、と言い切れるくらい様々なトコロで仕事をさせてもらいました。
いままでで最も社会勉強をさせてもらい、
自分史上、一番成長度が高かった時期ですね。
後半二年は現場チームのリーダーを務めておりました。
身分はアルバイトですが、表向きは現場責任者として顧客との打ち合わせにも参加していました。
社員もいたのですが、複数の担当現場をいったりきたりで、結局バイトまかせになるのでした。
ある現場でのことは今でもハッキリ覚えています。
だだっぴろい新築のオフィス、計4フロアにデスク数百台を納品する現場のリーダーでした。
チーム全員(何社もの派遣会社からの寄せ集め)で50人を超えていたと思います。
私一人で仕切れる広さと人数ではありません。
各フロアにベテランの同僚を配しましたが、連携を取りながら滞りなく現場をまわすには不安がありました。
私は、いつもなら自分を含め数人しか手にすることのない“現場の図面”をたくさんコピーしました。
どの商品をどこに設置するかが記された平面図です。
作業前日から現地に入り、要所要所の壁にそれを張っていきました。
私の指示がなくても、作業員一人一人が自分が何処にいて、何をすべきかわかるように。
そして、雷に打たれました。
「この、みんなに見えるようにした図面、なにかに似ている・・・!!」
シナリオだ。
撮影現場でプロデューサーからぺーぺーまで、
みんなが手放すことがない、
脚本だ。
図面は二次元で、三次元の現場の状況と違うこともある。
脚本は文章で、映像がそのイメージを再現できないこともある。
でも制作に関わる人間全員がその“設計図”を頼りにしながら、
完成を目指していく。
「これが、シナリオか。シナリオって凄い!」
お恥ずかしながら、
学校で専攻し、プロの現場で持ち歩き、
自分で書いたこともあるシナリオの事を、
この時初めて素晴らしいものだと思ったのです。
私は所詮文字の並び、物語が読み取れるようになっていて、俳優がセリフを覚えやすいように書かれた本、くらいにしか考えていなかったのです。
それまで、シナリオの事を。
手にした一枚の図面の隅に、小さく載っていたデザイナーの名前を見つめました。
そこに誰かの名前があるということも、初めて意識しました。
「シナリオだったら、これが脚本家の名前なんだ」。
現場のみんなを導く道標を記した人の名前。
私は映画の制作とはなんの関係もない作業現場の監督であった時、
そういうことに気づかされました。
その後、撮影用小道具を取り扱う老舗企業に勤めながら、
毎年シナリオのコンクールに出品をはじめました。
もう十年目です。
鳴かず、飛ばずです。
今年も書きます。