一、スジ その4
前記事、スジその3のつづきです。
シナリオを監督が自分で書いて、イメージもしっかり出来てるのなら、
文章としてうまく表現できてなくても、問題ないのではないか?
そのホンを手に現場で撮影に臨んでも。
監督が迷わなければイイのだから。
・・・?
今回改稿してみて感じたのは、
映像の設計図が文字で書かれている必要です。
文章で作られた設計図=シナリオには“客観性”があると思うのです。
現場で“主観”を押し通す、自分のヴィジョンに執着する、熱血カントクに水をさすような。
冷徹な活字の並びが、監督の迷いと暴走を止めてくれるのかもしれません。
監督=私の書いたシナリオは、そこまでクールだろうか?
「こっちに行けばいいんだ」と、
誰が見ても行き先が読み取れる“道標”のような脚本が理想ですが。
経験不足、勉強不足の私には、結局考えてもよくわかりません。
どんどん映画制作の現実の荒波に揉まれていくしかなさそうです。
拙いけど、自慢のシナリオと共に。