モーション・ピクチャー・シューティング

MOTION PICTURE SHOOTING 自主映画制作記

狙撃手の言葉

その男を生きた人間として描きたい。

短いシナリオの中で、心理を表すシーンは無い。セリフ一言すら無い。

でも存在感のある、生身の人としてスクリーンに写したい。

その男=スナイパー、当映画の主人公を。

 

2006年からシナリオを書き始め、参考資料として多くの狙撃兵に関するノンフィクション、

元スナイパーの著したフィクションに目を通してきました。

 

私は今まで人間を撃った経験のある人に出会ったことはありません。

狙撃手と呼ばれる人間に近づいた事もありません。

 

それでも描きたい。

そういう人間は架空の存在ではなく、地上に実在している。

同じ人間として生きている。

「どういう人間なのか?」

出来るだけ知って、近づいて、描きたい。

映画というフィクションに少しでも多く、リアルな血を通わせるために。

 

私にたくさんの映画が教えてくれたこと。

【観客に、主人公は自分たちとおんなじ人間なんだと一度でも思わせる事に

成功すれば、どんな荒唐無稽なストーリーも映画として成立する】

 

ただ生身の俳優をカメラで撮るだけでは駄目です。

 

ストーリー上は不死身のヒーローも、「同じように生きている=同じように死ぬかもしれない」と

観客が思ってくれなければ、心から応援してもらえません。

 

私たちは普段生きていくうえで何をしているか。

百戦錬磨の勇士だって腹が減ったらなにか食うぞ。

世界を股にかけるスパイだって喉が渇けばなにか飲むぞ。

おとぎの国のお姫様だって疲れれば眠りにつくだろう。

笑ったり、泣いたりもしただろう。

絶望して感情をなくしたりもするだろう。

同じ人間とは思えない所業の極悪人は?

やはり同じように、

呼吸をするぞ。

同じように人の子のはずだ。



クランクイン前、

主人公を演じる男優に資料のコピーを渡しました。

同じ人の子としてのスナイパーになって欲しいという想いを込めました。

当初、男優はもっとフィクショナルな、マンガチックなスナイパー像を思い描いていたようです。

自衛官の経験があるとはいえ、役柄の具体的なイメージを得るのは難しかったかと思われます。

私はさらに

「マシンのように人を撃てる“人間”になってくれ」などと言いましたからね。

 

以下、狙撃手の資料として渡した文面から一部を引きます。

私が読んだもののなかで、

最も【狙撃手という人間が引鉄を引く時の心理が表されている】と感じたものです。

米国人の著者は、政治家のスピーチライターからFBI に転職、特殊部隊のスナイパーとして

活躍した方です。

 

引用元

『対テロ部隊 HRT_FBI 精鋭人質救出チームのすべて』

              クリストファー・ウィットコム 著

                        伏見 威蕃 訳

                         早川書房 刊(2003)

原題【 COLD ZERO INSIDE THE FBI HOSTAGE RESCUE TEAM 】

 

(プロローグ p11~p23より)

狙撃は他人の領域を侵す孤独な仕事であり、退屈な長い時間に、直感的な悟りとぞくぞくする刺激の貴重な時間がちりばめられている。

<中略>

「五・・・・・・」

開始カウントダウンをするHRT指揮官の声が耳に鳴り響く。これまでの射撃のことを思い起こす。一発目の弾丸がぴたりと収まるのがわかるまで人差し指で押し込む。

「四・・・・・・」

ライフルが熱や風や天候にどう反応するかを学びつつ銃身から送り出した何千発、何万発もの銃弾にして思いめぐらす。一発目は“コールド・ボア”と呼ばれる ------ 試射なしで、新しいターゲットに対し、当たるものと盲信して放たれる。狙いと較正が正しい場合、照準点と着弾点が一致する。それが“零点(ゼロ)”だ。

「三・・・・・・」

運がよく、すべてが完璧に運んだとき、そのふたつがともにおとずれる。コールド・ゼロ。外部の影響はすべて意識下に消えうせる。周囲の世界は自分を置き捨て、弾道を支配する複雑な要素など知らぬげに、どこかほかの場所でまわっている。いっぽうここでは、小さな弾丸をまちがいなく二五〇ヤード飛ばすために力を合わせているライフルと人間に、全世界が集約されている。

「二・・・・・・」

コールド・ゼロは、仕事を完遂したと実感できる一発だ。それは真実を意味する。究極の射撃。

訓練射撃は銃身が赤熱するまでできるが、みんなの記憶に残る勝利宣言は、コールド・ゼロ ---- 最初の取り消しの利かない引き金のひと引き ----- だけだ。

「一・・・・・・」

そして、これは私のものだ。